「おれには、双子の妹がいるんですけど」

 湿布を交換してもらおうと、保健室を訪れたのは放課後だった。口煩い保健医と顔を合わせるのは面倒だったが、わざわざ自分で湿布を買うのも馬鹿らしく、どうせならタダで交換しようと思ってのことだった。保健医の小言は適当に受け流しておけば良い。なぜ怪我をしたのか聞かれることはわかりきっていたから、すらすらと受け答えできるように頭の中でシミュレーションをした。いわく「寝起きにベッドから落ちて思いきり打ったんです」「あらそうなの、大変ねえ」。実際そんな風に、うまくいくとも思えなかったが。
 ところが保健室にいたのはやかましい保健医ではなく、死んだ目をしたクラスメイトだったのだから、俺のシミュレーションはまったく無意味なものに終わった。
 普通の教室より一回り狭いくらいの保健室は、入り口近くに大きなテーブルが置かれて窓際に保健医用のデスクがある。奥のベッドはどれもカーテンが開けられて、誰も寝ていないことは明らかだった。クラスメイトは大きなテーブルとセットで置かれたパイプ椅子に深く腰掛けていた。入ってきた俺を一瞥し、やっぱり死んだ目のまま「絆創膏ですか、湿布ですか」と言ってきたので、湿布とだけ答えた。勝手知ったる様子で棚をあさり始めたクラスメイトと入れ替わるように、自分の分のパイプ椅子を引っ張ってきて座る。ちょうどクラスメイトとは斜めになるような具合だった。
 クラスメイトの手際は悪くない。差し出した右腕に広がった青痣に、さして表情を変えることはなかった。ちょうど良いサイズの湿布を探し、フィルムを剥がして遠慮なく痣を覆う。湿布の冷たさは突き刺すようで、同時に感覚が麻痺していくようでもあった。

「おれには、双子の妹がいるんですけど」

 剥がしたフィルムを丁寧にテーブルに置き、少し離れたところにあったゴミ箱を引きずって近づけた。視線を向けると、話している人間とは思えないほど無関心そうな顔をした男子生徒の顔があった。なんて顔だと笑いたくなったが、あいにくここは笑うところじゃないんだろう。頬が引きつって痛かった。
 俺の視線から逃げるように、長い睫毛を震わせて目が伏せられた。それでもきっとあの目は死んだ魚のように淀んでいるのだろう。容易に予想できたけれど俺も人のことは言えないに違いない。

「ねえ知ってます。江戸時代って不思議な慣習があったんです。男女の双子が生まれたら、それは前世で心中した恋人達が生まれ変わった子供なんだって。だから、今度こそ結ばれるように、その子達を別々に育てて大きくなったら結婚させたんだそうです」

 ふ、と笑う気配がした。救急箱を一度棚に戻すため、クラスメイトは立ち上がる。その背をなんとはなしに目で追って、けれどすぐに興味をなくしてかすかに揺れるカーテンに視線を移した。窓はすべて締まっているのに風が吹いているのはエアコンがついているからだと、そこでようやく気付いた。

「じゃあ、お前は前世で心中したのか。今の妹と」
「だったらどうします。おれと妹は、来世の幸福を願って心中したんだとしたら」

 おれは、いもうとをあいしてやるべきなんですかねえ。そこで初めて見たクラスメイトの笑みは何かを嘲るそれによく似ていた。何を馬鹿にしていたんだろうか。俺だろうか。それとも妹だろうか。あるいは世間的な何かすべてだろうか。他人の俺にはよく分からず、見えにくい目を指先でこすって無言を貫く。その拍子に眼帯がずれて、緩慢な動作で付け直した。

「でもどうせ、お前の妹はお前のことが好きなんだろう。兄としてじゃなくて」
「男として」
「一般常識と法律が泣くぜ」
「おれが泣きたいです」
「悪いな、胸もハンカチも貸してやれない」
「ハンカチは自分で持ってるので大丈夫ですよ」

 またパイプ椅子に腰かけた、クラスメイトが持っていたのはテーピングテープだった。どうやらそれで、湿布を固定してくれるらしかった。

「でももし、そんなくだらないことが本当だったら。おれと妹が本当に、そういう前世だったら。どうしましょうね。困りますね」

 そしてまた他人事のようにクラスメイトは吐き捨てるのだ。

「おれはあなたになりたかった」

 それだって十分くだらないことだ、と反論しようとして、する気が失せた。
 クラスメイトは足掻いているのだろう。同時に受け入れようともしているのだろう。江戸時代の話だってそうだ。今は江戸時代じゃないしそんな話なんてあり得ない。そんなくだらないことに、けれどクラスメイトは縋っているのだろう。そうでもなければやっていけないことは世の中たくさんある。
 だからといって俺のようになりたいのは悪趣味としか言いようがないのだが。

「テーピングテープで留めますけど。ついでに頬のガーゼも交換しておきましょうか」
「いや、別に良いよ。めんどくせえし。やりだしたらキリがない」

 棚にはまったガラス戸に映った自分と目があった。笑おうとして笑えなかった頬にはガーゼが、片目には眼帯が、首には包帯が、まるで冗談のように俺の姿を覆い隠している。
 どうにも、クラスメイトと俺は何かを間違えてしまったらしい。間違えてしまったのが俺達自身かどうかはわからないがともかく。きっと、クラスメイトが妹から向けられる愛情の半分でも、俺の親から俺に向けてのそれに分け与えることができたなら、お互いこんな死んだ目をしていることもなかったろうに。どうしてこうも、世の中は上手くいかずに歪んでしまうのだろう。もしも魔法使いがいるのなら、このボタンを大幅に掛け間違えたような状態をなんとかして欲しいくらいだ。
 だが現実にそんなものはいないし、きっと俺もクラスメイトもこのまま生きていくのだろう。収まったはずの痛みがまた戻ってくる。ますます俺は無言になり、目の前が暗く沈んでいく。

「もし来世というものがあったら」
「あったら?」
「人間以外になりたいですね」
「そうかい」
「無駄に頭があるからいけないんですよ。考えてしまうから。だからきっと」
「でもどうせ、来世なんて信じてないんだろう?」

 あたりまえじゃないですか、とクラスメイトは朗らかに笑った。濁った色の目を隠すような満面の笑みに俺も笑おうとして、でもやっぱり頬が痛くてやめた。どうせなら次は笑う必要のない生物に生まれ変わりたいと思ったが、どうせ死んだところで来世はないので、やはり無駄なことなのだろう。結局俺は表情を変えないまま、新しく貼られた湿布を指先で撫でた。



ミズキは「来世」「犬」「ゆがんだ魔法」を使って創作するんだ!ジャンルは「学園モノ」だよ!頑張ってね!


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