「まったく、あなたは愚かな人ですね」

 少しばかり古びた型の音楽プレーヤーが、いやみったらしく俺の耳へと語りかける。抗議の意を込めてイヤフォンをずらせば、ふん、とさらに不機嫌そうな吐息が重なった。この音楽プレーヤーは残念なことに、音楽ではなく俺への嫌味再生機と成り果てている。困った物だ。金がないわけではないが、毒々しい赤色が好きで買ったというのに、また新しく買うのはひどく面倒だ。
 俺を愚かだと評価したこの奇妙な、喋るプレーヤーの表面を弾いた。当然、無機物なのだから固い音がする。
「叩いてどうするんです。プレーヤーが壊れるだけですよ」
「うるせえな。黙ってろよ」
「いいえ、黙りませんよ」
 それに壊れたって、私はいつまでもしゃべり続けますよ。そう言った声はぼそぼそとして覇気がない。そもそも幽霊に覇気なんぞあってたまるか、という話だ。
 俺の音楽再生機には、幽霊が憑いている。
「あなたも分かっているんでしょう。こんなことしたってどうにもなりませんよ」
「黙ってろって言ったろうが」
「黙らないと申し上げたはずですが?」
 またこれだ。いやみったらしい声。ねっとりと絡みつくような。何が悲しくて俺はこんな、非科学的なものと対話しなければならないのか。よれたスーツの胸ポケットから煙草とライターを取り出して火をつけた。白い煙がもうもうと上がり、周りの空気に吸い込まれる。壁に背を預ければ、疲労でボロボロの体が悲鳴を上げた。
 早く家に帰って布団と仲良くしたいところだ。出来ればの話だが。
 慌ただしく走る人々と、逆に一歩も動かず、カメラさえ構えてみせる人々と、そこから少し離れて燃える邸宅を眺める俺と喋るプレーヤー。今頃あの中では俺の上司やら何やらが燃えているんだろうか。つい半日前までいた場所が炭と化す。それは妙に現実感が無く、俺は一体何を失ったんだろうか、とか、何をするべきなんだろうか、とか、お頭を助けに行くべきなんだろうか、とか、そういうことが頭の中を駆け巡ってはあっという間に消えていった。
 因果応報。つまりはそういうことなのだろう。他人を不幸にする職業を無理矢理に続けてきた結果がこれなのだろう。俺はどうやら職を失ってしまったようだ。これは困ったことだ。だが、もう歩く気力はない。ずるずると体が落ちていく。それでも手の中の煙草とライターと、音楽プレーヤーだけは落とさなかった。
「あなたは愚かだ」
 まだ言ってくるのか、お前は。
「あなた、頭は良いはずなのに。変なところで馬鹿なんです。その頭をもっと別なところで動かしてたらきっと、良い人生を歩めていたでしょう。どうしてこんな、因果な商売に身を窶してしまったんです」
 知るか。そんなの、俺にだって分からない。だからといって今更普通の人生を送れると思っているのか。十年以上境界線のぎりぎりを歩き続けてきた人間が、まっとうな人間に戻れると思っているのか。
「戻れますよ。その手伝いくらいして差し上げます。……体がないだろなんて、馬鹿なことは言わないで下さいね」
 黒い煙が白い煙に変わり、人の声が渦巻いて、もう何もかも捨てて眠ってしまいたかった。そうして今更のように、俺はすべてを失ってしまったことを知る。明日からどうやって生きていこうか。そもそも歩き方は覚えているか? 俺は呼吸の仕方さえ、忘れてしまうんじゃないか?
「まあ良いでしょう、そんなこと。さあ早く帰りましょう。帰り道が分からないのでしたら、道順を教えて差し上げましょうか」
「……もう、なんなんだおまえは」
「さあ、なんなんでしょうね。ただの幽霊ですよ」
「とっとと成仏しちまえ。俺のプレーヤーを返してくれ」
「気が済んだら成仏しますよ。気が済んだらね」
 ふふ、と笑う気配がした。それはあのねちっこい声ではなくて、小さな小さな悪戯をした幼い子供の無邪気なそれと、計算高い女の駆け引きのそれが混ざり合った声だった。




ねー加藤瑞樹、頭は良いのに酷く鈍感なやのつく自由業の人と無機物に憑いてる生真面目な幽霊が小さな奇跡を起こす話書いてー。


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