耳にこびりついた銃声は断末魔に似ていた。
短いようで長い破裂音は人の頭を破裂させた。飛び散ったのはおそらく脳漿だったんだろう。水音をたてて人の頭の一部が地面に落ちた。それから遅れて人の体がバランスを崩して倒れる音も。その目の前でおれはがたがた震えながら銃を構えていた。そこら辺でいくらでも売っているような安物の拳銃は白い煙を銃口から上げていた。空から落ちてきた雨が熱い銃口を濡らす。じゅうじゅうと小さな音がする。
体中が震えていた。興奮しているのかもしれない。恐怖かもしれない。頭の中が真っ白だった。同時に冷めた目をした自分が自分の中にいた。そいつは言う、「落ち着けよハニー、人一人撃っただけさ」
しょせんそんなもんなんだ。頭の中で叫んだ。銃口が雨に打たれて冷えていくように、自分もまた興奮や恐怖から冷めていく。冷めた目をした自分ががたがたみっともなく震える自分に重なった。目の前のそいつはもう動かないぜ、ダーリン。
大きな穴を開けた顔から目を逸らし、そいつの懐を探る。束になったドル札が二つ折りになって出てきた。やっぱり震える手で数える。一ヶ月はこれで暮らせる。そう思うと安堵感が体の奥からわき上がってきた。だというのにさっきまでの興奮はもう影もない。代わりに後悔が沸き上がってきた。
久しぶりに人をヤッた気分はどうだいハニー? 重なったはずのおれが言う。ああまったく最悪だよダーリン。上げた視線がグロテスクな顔面とぶつかった。ないはずの目玉がおれを睨みつけてくる。爆ぜた肉がおれを見ている。次の瞬間嘔吐感がこみ上げてきた。喉の奥を胃液がせり上がってくる。顔を逸らし濡れた路面に吐き散らした。
苦しい。なにこれカッコワルイ。胃の中の物を全て吐いたはずなのにただえずく。生理的な涙が目に浮かんできた。馬鹿じゃねえの、馬鹿だなオイ。あまりに惨めな自分の姿を想像して笑いがこみ上げてきた。
落ち着けよハニー、たかだか人一人撃っただけじゃないか。いつまでもガキみたいに震えてられないだろ。さあこれが最後だ。自分の足で立たなきゃならない。そうだろハニー。ああそうさ、ダーリン。
ドル束と拳銃をしまい込む。さっさと逃げなきゃならない。弾は入っている。最後の一発になったらリロードしろといったのはああそうだ、師匠だ。
銃は怖いモンじゃない。怖いのはそれを使う人間だって口酸っぱく言ってた師匠殿、おれはあんたに顔向け出来ないよ。でも多分、あんたは全て分かってたような顔してるんだろ。あの目でおれを見てるんだ、なあダーリン。ああ、雨が上がる前に行かなきゃ。どこにって、おれだって分かんないけどさ。


クソったれた家で育ったと思う。父親はアル中で母親はおれに暴力しかくれなかった。メシを食うのも一苦労だった。家にはなにもなかったから親の財布から金を盗んで買いに行くしかなかった。そこで見つかったらおしまいだ。何度死んだ方がましだと思ったか知れない。とにかくそういう家だった。
おれが十五の時、父親が死んだ。母親が銃で撃った。そして母親が死んだ。おれが刺して殺した。目の前で黒々と光った銃口は今でも覚えてる。安物の銃。 9mm。その向こう側の母親の顔はもう思い出せない。もしかしたら最初から見ていなかったかもしれない。銃口から弾丸が飛び出てくる前に、手元にあったはさみを首もとに刺した。赤かった。とにかく必死で突き刺して、気づけば母親は死んでいた。
母親が手にしていた銃に、弾丸は入っていなかった。
十五のおれは五年前の話だ。二十になったおれは安物の銃を握りしめている。安物の銃。ただし一発で人を殺せる大口径。数分前、金を得たことも、初めて人を殺したことも、全部頭から消え去っていた。ああまったく最悪だよ、チクショウ。
家から逃げたおれを見つけて、銃の撃ち方を教えてくれたのは白髪混じりの男だった。がっしりとした体格で、大きな手をしていて、無口だった。あの男と一緒にいた数年間はまともな人間をやっていたと思う。銃を構えて的へと狙いを定める、男は言っていた「銃は怖いモンじゃない。怖いのはそれを使う人間だ」。
おれは男の名前を知らない。手紙の宛名はアーサーだったしジョンだった。かかってくる電話はディビッドだったしサイモンだった。おれは男を師匠と呼んだ。師匠はおれをジャックと呼んだ。
ただ、穏やかな毎日だった。師匠はおれに暴力を振るわなかったし、アル中でもなかった。食べる物も寝るところもくれた。十五年間の体験を忘れるなんて都合の良いことはできなかったけど、それを昔のことだと言えるくらいにはおれも心の整理とやらがついていた。時々、母親にはさみを突き刺した瞬間を思い出してぞっとした。そういうときは深呼吸をした。師匠に話しもした。師匠は悲しそうな優しそうな目でおれを見ていた。
荒れた呼吸がうるさくてたまらない。飛び散る脳漿、えぐれた顔。深呼吸をする。落ち着けよハニー、もう助けてくれる人はいないんだからさ。知ってるよダーリン、おれはもうひとりぼっちだ。
なあ師匠、おれは今、なんでだかよく分からないけど必死で生きてるよ。あんたが教えてくれた銃はおれのせいで怖いモンに成り下がっちまった。握りしめた黒い銃は体温が移ってぬるいのにひどく冷たい。
あんなに穏やかだったおれの生活は、しょせんその時ばかりだった。どうやら神様とかいうヤツは平等じゃないらしい。どうして町ですれ違う連中はあんなにも幸せそうなのに、おれはそうじゃないんだろうな、ダーリン。
師匠はある日突然いなくなった。師匠がいなくなったあとのおれは抜け殻だった。師匠は時々おれに言った「なあジャック、俺はいつかツケを払わなきゃならないと思うんだ」そうして親愛なる師匠殿はツケを払いに行った。おれは一人、そこに残された。
おれはもう、どうすれば良いのか分からなかった。
だから、家の中をとにかく荒らして回った。そこに人がいたなんて考えられないほどぐちゃぐちゃにした。頭の中が真っ白になっていた。そして真っ黒くなった。眠って、起きて、自分がやったことに驚いて、そこでようやく一息ついたと思う。座り込んだおれの目に映ったのは、トニー宛の手紙の中身だった。たぶん、かなり昔に受け取ったんだろう。紙は何度も読み返してぼろぼろだったし黄ばんでもいた。でも大事にされていたのは分かった。
女からの手紙だった。親愛なるトニー、そう書かれて始まっていた。柔らかな文字の形でトニーを心配する言葉が連ねられていた。なんだか懐かしかった。親愛なるトニー、体は大丈夫ですか。あれから数年経って、一人っきりで、不健康な生活をしていませんか。わたしは元気です。あなたの息子も元気です。あなたによく似た目をしています。いつか会いに来てください、わたしはずっと待っています――――
手紙の差出人の名前を見て、おれはそっとそれを壊れた机に置いた。おれと同じファミリーネームの手紙は他に何通もあった。それは全部、大切そうにしまわれていた。
その日の晩は、師匠の言っていたツケがなんなのか、ずっと考えていた。正しい答えは分からなかったしおれはやっぱり一人のままだった。
ただ、こんな想像はできた。たとえば、おれが父親だと思っていたのは父親じゃなくて、本当の父親は師匠で、おれの母親は師匠のことが好きで、ずっと師匠が会いに来てくれるのを、一緒にいてくれるのを願ってたんじゃないだろうか。母親もアル中の男と暮らすのも限界だったのかもしれない。限界だったからあのとき、銃で殺したのかもしれない。細い手でも使える9mmの銃で。
師匠は助けることができなかったんじゃないだろうか。何度も何度も送られてくる手紙を見ながら、あの悲しそうな優しそうな目でずっと頭を横に振り続けていたのかもしれない。だってそうだろ、今は他の男と暮らしてる女のところに、どんな顔で会いに行けばいいんだ? ほんとうは俺がおまえの父親だって、こどもに言って今更どうすればいいんだ?
そうして師匠は沈黙し続けたのかもしれない。女は死んで、こどもはぼろぼろで、そこでようやく、他人として助けたのかもしれない。これはおれの想像でしかない。でも少なくとも、おれはそう信じてる。無視し続けてそれで人を不幸にしたツケを、師匠は払いに行ったんじゃないだろうか。
おれはスニーカーをひっかけて走った。どこに行けばいいのか分からなくて、とりあえずクソったれた家に向かった。そこはもう他人の家になっていた。次に近くの墓場を回った。あっさり見つかった。忘れかけていた母親の名前の書かれた墓の前で、静かに死んでいる師匠殿を。
手には真っ黒な鉄の塊が握られていた。怖いモンじゃない、そういわれた銃を使って、自分の頭を撃ち抜いて、師匠は死んでいた。顔の半分以上は潰れていたけどそれでも分かった。おれの知っている、大きな手だった。
自分の手を見た。ぼろぼろでやけどのある、師匠にぜんぜん似てない手だな、ダーリン。銃を扱い慣れた気分でいたけど、ほんとうはまったく慣れてないんだ。師匠は使い方を教えてくれたけど、それは人の殺し方じゃない。
いよいよ抜け殻になったおれに残されたのは、銃だけだった。


師匠はツケを払ったらしい。だけど思うんだ、ツケを払わなきゃいけないのは師匠だけじゃない。おれだってそうだ、だって母親を殺したのはおれだ。人を見殺しにしたことをツケだって言うんなら、人を殺したおれにだってそれはある。
あのとき、ほんとうは、死のうとしていたんだ。バカみたいだろ、師匠みたいに銃をこめかみにおしつけて引き金を引きたかったんだ。ところがどうだ、おれは今こうして呼吸をしている。生きている。襲いかかってきた男を殺して。
信じてくれなんて言わない。おれは人を殺した。それは母親と、名前も知らない誰かだった。なにをやってるんだろうな。おれは死のうとしてたのに、いざ誰かに殺されそうになると必死で抵抗する。それどころか金を盗んで生き延びようとしてる。ほんとうに、人生ままならない。
おれはきっと、これからもそうだろう。死のうとして死ねなくて、結局誰かを殺して生きていく。どんどんツケがたまっていく。いつかおれはそれに押しつぶされるんだろう。それだって良いさ。なあダーリン。良いだろう? ああハニー、それで良いんだ。
なあ師匠、おれはあんたみたいにはなれないよ。あんたみたいに大きな手じゃないし、銃を正しく使えない。それどころかどんどん借金まみれになっていく。でもまだ、おれはあんたを信じてるんだ。こんなおれをきっとあんたはあの、優しくて悲しい目で見てくれるんじゃないかなって、信じてるんだ。 
ほら、朝がくるぞハニー。ああ、そうだなダーリン。ひとりぼっちの朝がくる。おれは逃げる。今日かもしれない明日かもしれない。また死のうとするかもしれない。でも結局できなくて誰かを殺して生き延びる。おれはずっと、殺したツケを背負いながら、自分が死ぬことから逃げ続けるんだ。
ああ、行かなきゃ。どこにって、おれだって分かんないけどさ。



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